120度の恋《プロフェッショナル・ゼミ》
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記事:西部直樹(プロフェッショナル・ゼミ)
「しかたないね。友達になろう」
希和は僕の手を離した。
僕の手を押しやり、自分の手は膝の上に置いた。
ベンチに座り、同じところを見ているはずだったけど、視線の先は別々だった。
希和は僕を見て、口角を挙げた。
目が潤んでいた。
「友達なら、さよならはしなくていいよね。友達に終わりはないから」
「う~ん、そうだ。終わらない。けれど、僕たちは終わったんだ」
僕の微かに唸り、その声は掠れていた。
僕たちは、大学の学食で出会った。
桜の花びらが舞う頃だった。僕ははじまったばかりの大学生活に浮かれていた。貰ったばかりのサークルのチラシを学食のテーブルに並べ、唸っていた。
「どこにするか、迷うよね」
軽やかな声が聞こえてきた。
見上げると、笑顔のポニーテールの女の子がいた。
「いろいろあるからね、しかし、サークル選びは学生生活を左右するからなあ、君は決まった? って、え~と、確か、同じクラス……」
「うん、Sクラス、新入生ガイダンスの時、近くに座っていたけど、その時も唸っていたよね」
「唸っていた? う~ん、無意識だったなあ……」
僕は頭をかいた。
ポニーテールの女の子は、僕からサークルのチラシを取り上げ、テーブルに並べはじめた。
「体育会系運動部、サークル系スポーツ部、文化系、飲み会系とおおよそそんなところかしら」
テーブルの上には、整頓されたチラシが並ぶ。
「う~ん、体育会系の運動部は、ちょっと遠慮しておこうかな。高校まで剣道やってたけど、大学では違うことがしたい」
「わたしも、テニス部で合宿とか大会とか楽しかったけど、なにか、違うことをしてみたい。「青が散る」みたいなのも悪くはないけどね」
「覇道をいくのか、ってね」
「読んだの? 宮本輝の「青が散る」」
「高二のときに読んで、剣道やめてテニス部に入りたくなった。最後は胸がえぐられたけどな……」
「わたしは、最後何となくわかるな。男の子には辛いかも知れないけれど」
僕たちはしばらく「青が散る」を話題にした。
僕は、はじめて会ったのに、なぜこんなにも話が合うのか、少し不思議に思いながら。
「そう、で、サークルはどうするの」ポニーテールの女の子は思い出したようにチラシを指さす。
「いやあ、どうしようかな。飲み会系は、それだけじゃなあ、となるとサークル系スポーツ部か、文化系か。この「体育会系の読書会」って、どっちにも入っていないけど」
「なんだかわからないわよね、読書なのに体育会系って、どういうこと?」
「なんだかわからないから、覗いてみようか」
僕たちは、サークル会館の部室を訪ねた。
僕は部室扉をノックし、そっと引き開け、部室の中を見て、素早く閉めた。
うしろにいたポニーテールの女の子が、
「間違えた?」と聞いてくる。
「いや、多分そうなんだけど、凄いものを見てしまった」
「なに、なに?」彼女は嬉しそうだ。
「カオス、というか、ソドムというか、混沌というか、退廃というか……」
部室のドアが開いた。
銀髪の女性が、「新入生?」と綺麗な眉を上げた。銀髪の女性の後から髪の長い女性がのぞき込んでくる。
部屋の奥からは「チャカポコチャカポコ」と唱える声が聞こえてくる。
銀髪の女性に促されて、部室の中に入る。
15畳ほどの広さだろうか、入り口の正面に窓があり、両側は天井まである本棚で占められていた。
本棚からは本が溢れ、部室の中に本を積み重ねた塔ができていた。
「さすが、読書会」と、感嘆する。が、その中にいる人たちが……
テーブルを挟んで、将棋を指している二人がいる。一人は「聖の青春」を持ち、もう一人は「サラの柔らかな香車」を持っている。
奥の方で壁に向かって「チャカポコ」と唱えていた男の人が振り返った。
「ねえ、君たちは「ドグラマグラ」を読んだことある?」
といきなり聞いてくる。
「あああ、いえないです」
ポニーテールの子は、顔の前で手を振る。
僕も顔を横に振った。
「残念だ。途中のこのチャカポコを覚えようと思ってね……」
彼がさらに話をしようとしているところを、銀髪の女性が遮る。
「君たち、とりあえず名前は?」
「あああ、わたし、藤波希和です」
ポニーテールの子が応える。彼女の名前は希和なのか。
名前も知らないまま、ここまで来てしまったんだ。
「僕は樋目野大地です。藤波さんと同じクラスです」
僕たちはこの怪しげな「行動する読書会」にはいった。
行動する読書会は、本当に行動する。
富士には月見草がよく似合う、という一節に出会えば、富士山まで行って月見草を探しにいった。
買い物エッセイを読めば、同じものを買ってみたり、剣客商売を読んで、その中に出てくる料理を再現したり。
「鴨川ホルモー」を読んで、鴨川まで行ってみたりもした。
ある本で、夜中歩き通す場面があったので、僕たちも夜間歩行訓練をして、部室にフラフラになって辿り着き、みんなで夜明けまで語り明かしたりもした。
夜明け前の薄明の中、大学の構内を歩いていると、なんか青春をしているなあ、と思ったりしたものだ。
それはいつも一緒にポニーテールの希和がいたからなのだけれど。
季節は巡り、1年が経ち、桜が膨らみはじめた頃だった。
僕たちは次の新入生をどのように勧誘するかというようなことを、部室で話しをしていた。
大きなテーブルに自分の好きな本を広げ、読むとはなしに、話すとはなしに時間を過ごしていた。
そして、のんびりとした空気が一変した。
床から衝撃がきた。
大きく突き上げられた。
……
「地震だ!」
「窓を開けろ! ドアを開けろ!」
「火の元は?」
一瞬の間をおいて僕たちは大きな声を上げていた。
次に横揺れがやってきた。
「テーブルの下に隠れろ!」
部長が叫んだ。
僕たちはその声に促され、テーブルの下に身を隠した。
もう声は出なかった。
大きな揺れが、声を失わせていた。
しゃがみ込んでいても、倒れそうになる。
本棚からバサリと本が落ちてくる。
床に積み上げていた本が崩れる。
テーブルの上の本が床に落ちる。
大きな揺れが納まり、僕たちはそっとテーブルの下から顔を出した。
部室の中は、何冊かの本が落ちているだけだった。
揺れが入り口から窓の方向だったので、本棚か本が出なかったのだろう。
「いや、大きかったな」
納まった安堵感から、僕たちは少し笑顔になった。
誰かがスマホのテレビを付けた。
画面は、今の地震の速報が流れている。
「ただいま、各地の震度がわかりました」
僕たちは、小さな画面をのぞき込みながら、声を失っていた。
僕たちの大学のあるところは、震度5弱だったけれど、ひとつ向こうの県では震度6強だというのだ。
「6強は、これは大変だな」
部長の声は少し震えていた。
僕たちは、電話を取りだし、それぞれにメールをしたり、通話をしたりしはじめた。
安否を伝え、確認したのだ。
その日は、そのまま解散となった。
僕が自分のアパート帰り着いたとき、電話が鳴った。
希和からだった。
「部屋、大丈夫だった?」
僕は自分の部屋が部室のようにそれほどでもないのを見て安心していた。
「希和は大丈夫か、僕のところはたいしたことはなかったよ」
希和が涙声になった。
「たすけて、入れない」
僕はスクーターに乗って、彼女の部屋までいった。15分ほどの時間がもどかしかった。
彼女のマンションの部屋は、ダイニングと寝室の1DKだ。 寝室の本棚が倒れ、部屋は本で溢れていた。
地震の揺れが本を振り落とす方向だったのだ。
希和は震えていた。
ダイニングテーブルにのっていただろう本も床に散乱していた。
僕は、ダイニングに散らばった本を片付け、希和を椅子に座らせた。
それから寝室の片付けをはじめた。
震えも納まった希和も片付けに加わり、2時間ほどでとりあえず眠れるようにはなった。
片付いた寝室のベッドに腰掛け、地震のニュースを見ていた。
震源に近い街は、テレビのライトに照らされ、瓦礫に溢れていた。
僕たちは、ただ、見続けていた。
気がつくと夜は終わりかけ、希和は僕の方に頭をもたせかけて眠っていた。
僕はテレビの向こうの惨状を見ながら、申し訳ない、と思っていた。
僕はテレビのこちらで、彼女の頭がのった右肩から温かさが全身に巡ってくるのを感じていたから。
翌日、行動する読書会の部室では、ボランティアのことが話し合われた。
なにかをしなくては、と思っていたのだ。
話し合いの末、週末に被災地に行くことになった。
その日の夜は、希和の部屋で夕食を食べた。
次の夜は、彼女が僕の部屋に来た。本棚を熱心に見ていた。
翌朝、僕と希和は僕の部屋からボランティアに向かった。
被災地のボランティアセンターから、僕たちはそれぞれ、必要とされているところに向かった。
僕と希和は、個人が営む書店へ、瓦礫の整理に行くことになった。
道々に防災服に身を包んだ自衛隊の姿があった。
彼らは黙々と瓦礫を片付けていた。
僕は彼らの姿を見ていて、少し胸が熱くなった。
依頼のあった書店は、個人が営むといいながらも、かなりの大きな店だった。
そして、店の中は本の海だった。
高い天井、人の背丈よりも高い棚、そこから溢れた本が床を埋めていた。
老夫婦が僕たちに頭を下げる。
「二人では、これをどうしていいのか、困っていたんです。よろしくお願いします」
眼鏡をかけた店主が頭を下げる。
「ほんと、助かります。ありがとうねえ」
小柄な婦人が、目元を押さえながら、僕たちに頭を下げてくる。
僕と希和は、いえいえと手を振りながら、作業にかかった。軍手をはめ、マスクをした。首にはタオルを巻いた。
本はすべて棚に戻すという。
床に散らばった本を取り上げ、上下を揃え、汚れはタオルで拭き、棚に戻していく。
僕たちの作業を見ながら、店主が声をかけてくる。
「あんたたちは、学生さんかい。本が好きなんだね」
「どうしてわかるんですか」希和が尋ねる。
「丁寧に扱うし、いちいちタイトルを読んでるでしょう、好きなんだなと思ってね」
僕たちは、サークルのことを話した。
老夫婦は、それはそれはとしきりに感心してくれた。
昼近くなったとき、一人の女性が本屋をのぞき込んできた。
「まだ、ここは再開してないの」年配の女性は残念そうに聞く。
「片付いたら、開けますよ」店主が応える。
「避難所にいてもやることないし、家はもう潰れちゃったし、毎日おにぎりとパンじゃ飽きちゃってね。なにか美味しいものが出てくる本でもないかなと思ってきたんだけど……」
文庫本の棚を整理していた希和が、一冊の本を持って婦人のそばに行った。
「この本にでてくる料理、とっても美味しそうなんですよ。女性が主人公で、辛いことにもめげずに頑張るというお話です」と彼女は「みをつくし料理帖」を差し出す。
「ああ、それはいい本だね。澪は大阪で洪水にあって、その後江戸に出てくるんだ。そこからがなあ。お嬢さん、よく知っているねえ」
希和は、少し照れていた。
「それ、読みたい!」年配の女性は希和の差し出す本を手に、その場で読みだしそうだった。
「ああ、読みたいなら、いいよ、持っていきな」老店主が言う。
「え、だめよ。買うわ。お互い様よ、大変なのは。だから、お金払うわよ」
年配の女性は、文庫本の代金を老婦人に渡し、本をしっかりと抱えて出ていった。
僕たちは夕方まで本を片付けていた。
電気がまだ通じていない店内は、夕方になると手元が見えなくなってきた。
「2/3くらいは終わったかね、ありがとうね」
老店主は片付いた店内を見て、僕たちを労ってくれた。
その時、昼間に来た年配の女性が店内をのぞき込んできた。
彼女の目がはれぼったくなっていた。何かあったのだろうか。
年配の女性は、希和を見つけると、ツカツカと寄ってきた。
「あなた、とんでもない本を薦めてくれたわね」
希和の腕を掴んで振り回す。
「避難所で、ボロボロ泣いちゃったじゃない。もう、みんなビックリよ。ほんとうに。これにでてくる料理、おいしそうよねえ。落ち着いたら是非、作りたいわ」
彼女は一気にまくし立てた。
「だから、この続きを読みたいのよ」
希和は、片付けた本棚から10冊を抜き出してきた。
「続きは、9巻あります。そして、料理のレシピ集です」
「ありがとう。さあ、この料理をどう作るのか、楽しみだわ」
彼女は明るい顔で、10冊の文庫本を胸に暗い街に歩き出していった。
老夫婦は、彼女の背に向かって深く頭を下げた。
僕たちも、頭を下げた。
そして、しばらく頭を上げることができなかった。
翌日も同じ本屋で片付けした。
帰るときに、僕は一冊の本を買った。有川浩の「塩の街」だ。希和も「紙つなげ! 彼らが本の紙を造っている」を手にしていた。
ボランティアで何度かその街に足を運んでいるうちに季節は変わっていった。
僕と希和は、お互いの部屋を頻繁に行き来する仲になっていた。
そして、僕たちは大学後のことを考えなくてはならない時期を迎えていた。
希和の部屋のベッドに腰掛け、将来のことを話していた。
僕たちは二人でひとつのように、離れがたいと思っていた。
僕たちの未来には、あの街の出来事が影を落としていた。
あのあと、僕には一つの目的が生まれてきていた。
希和は希和でひとつの方向が見えているようだった。
僕の目的が、希和の方向が、僕たちの絆にひびをいれていた。
僕は、全国を転々とするような職に就こうと思っていた。
彼女は、ひとつのところでじっくりとはじめる職を目指していた。
僕は、彼女に一緒にいて欲しかった。
彼女は、まずは自分の目標のために動きたいと思っていた。
僕の部屋と彼女の部屋の間にある公園で、話しをした。
僕は希和の手を握り、話しかけた。
「僕は、あの被災地で黙々と働いていた自衛官になりたい。最初は数年で転勤となる。だから、一緒に付いてきて欲しいんだ」
「私は、あの被災地で本を読んで涙を流した人の姿が忘れられない。あのような店を作りたい。だから、しばらくは大きな店で体験をつんで、そして、いつか自分の店を作りたい。だから……。難しい」
僕たちは、それぞれ違う方向を向いている。
120度離れた方向を。
「しかたないね。友達になろう」
希和は僕の手を離した。
僕の手を押しやり、自分の手は膝の上に置いた。
ベンチに座り、同じところを見ているはずだったけど、視線の先は別々だった。
希和は僕を見て、口角を挙げた。
目が潤んでいた。
「友達なら、さよならはしなくていいよね。友達に終わりはないから」
「そうだ。終わらない。けれど、僕たちは終わったんだ」
僕の声は掠れていた。
そして、僕たちは……。
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